1988-04-19 第112回国会 衆議院 本会議 第17号
そうして、教研集会等に出かけまして先輩の先生の指導をお受けした経験も持っております。しかし、そういう環境でございましたものの、今おっしゃいました心の通い合いというものがあり、そして人間的触れ合いというものが私と生徒の信頼関係というものを組み立てておったではなかろうか、このような反省をいたしておるところであります。
そうして、教研集会等に出かけまして先輩の先生の指導をお受けした経験も持っております。しかし、そういう環境でございましたものの、今おっしゃいました心の通い合いというものがあり、そして人間的触れ合いというものが私と生徒の信頼関係というものを組み立てておったではなかろうか、このような反省をいたしておるところであります。
しかし、その後いろいろ変遷もあって、そして最近は、教研集会等の議論等も拝聴しておると、中には現場でいろいろ得られた経験をお互いが報告し合って、どうしようかという点で建設的な議論も見られるようになっていると思われる。そうでないのもあります。しかし、そういうところまで来ているということは、やはり私は前進しているのではないか、そう思っております。
教研集会等におけるまじめな論議等も見てみますと、そういう面があると思います。ですから、昔の観念のみで、昔の姿を頭に置いて物を処してはいけない。それは、日教組についても、文部省についても、あるいは自民党についても、政治全般についても言える問題ではないかと思います。
この前の日教組の教研集会等でも多くのいろいろの事例が指摘をされている。そうしたことを考えると、いまの三・三と区切っている学校制度に問題があるということは、ある程度そういう側面というものは認めざるを得ないのではないか。 私が申し上げているのはこれだけではありません。
これはやはり六・三制の改革の問題について、日教組の教研集会等で出てきている高等学校の教育の現場の実態というものももっと真剣に文部省としては受けとめられなければ、文教行政の責任を負っているということにはならないと私は思うのです。そういう意味で申し上げている。これは御答弁いただく必要ありません。 もう一つは、職業と教育とのかかわりについて。
それから第二点は、確かに不安や迷惑と言われるけれども、過去の広島にしてもあるいは前橋にいたしましても、住民に対してガラスが割れたとかあるいはいわゆる人身の被害とか物的被害というのは皆無であって、会場それ自身がどうであったというような、浦和の教研集会等はあるということは聞いていますけれども、周辺住民の物的、人的被害というものは、これは警察の御努力だと思いますよ。
またある県の会場におきましては、第一日目は県教組の書記長が来られなかったので、非常に微温的なピケでございましたが、第二日目は県教組の書記長が――これは毎回の教組大会あるいは教研集会等の事前に共産党がグループ会議をやりますが、この会議にも明らかに出席しておる書記長でありますが、彼が来ますと、がぜん力を得まして、その地域の共産党の市会議員、日本社会党の県会議員、市会議員等が率先してこれを迎えまして、そうしてその